打上花火を見て♪
打上花火といえば、夏の風物詩の一つですよね。
実は、先日、打上花火をみてきました。
花火が打ち上げる音や、夜空に咲く様は、夏を感じますし、ただただ素直に綺麗だなとも思いますし、少し感動もしてしまいます。
花火に限らずですが、「綺麗なもの」や「美しいもの」って、なぜか惹かれませんか?
意識しているかどうかは別にして、なぜなんだろうと調べてみますと、
それについて書いてある本がありました。
(参考 人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書) 著者橋本 治)
その本では、「綺麗なもの」「美しいもの」と人間が感じるものには、大きく2つのタイプがあって、
1.「合理的・理性的」な美しさ
2.「非合理的・感情的」な美しさ
と分別できるようです。
1については、絵画とか彫刻とか均整の取れたものを指すようです。
つまり黄金比などもここに該当するので、美人やイケメンといった人の美醜に関するものも、これに該当するのかもしれないですね。
2.については、風景とか自然のものに触れた時に感じるものを指すようです。
そして、綺麗だなと感じる根底には、「侘しさ」や「やるせなさ」というものが根底にあり、
つまり「寂しさ」があるのだそうです。
1については、「寂しさ」というものは、私自身、あまり感じませんが、たしかに、2については、なるほど、そうかもと感じました。
「桜を見て」、「夕日を見て」、「紅葉をみて」とか、綺麗だなと思うものには、言われてみれば、少し感傷的な気持ちが根っこにあるような気もします。
綺麗な風景をみて、綺麗だなと思うと同時に、そこには寂しさが同居しているからこそ、感傷的な気分にあるのだと思います。
そして、それ故、「綺麗なもの」「美しいもの」を見に行くときは、恋愛対象の人が多いのだそうです。
たしかに「夜空を一緒に見に行こう」や「花火を一緒に見に行こう」という言葉は、恋愛対象の人に言う場合が多い気もしますよね。
つまり、美しいと感じるものには、寂しさがあるため、その寂しさを埋めるように恋愛対象の人と行きたくなり、また「美しさ」の共有をしたくなるのだそうです。
寂しがり屋さんや、そうでもない方等、色々いらっしゃるかと思いますが、総じて、人として本能的に寂しさを埋めることのできるパートナーを探し、それが恋愛につながるのかもですね。
「綺麗なもの」「美しいもの」を一緒に見に行きたい、美しさの共有したいと思う事は、理屈ではなく本能のような気がしますから、なんとなく納得してしまいます。
皆さんは、「綺麗なもの」「美しいもの」を一緒に見に行くなら、どなたを思い浮かべますでしょうか。
その思い浮かんだ方が、恋愛対象の「運命の人」なのかもしれませんね♪
少し、話がずれましたが、打上花火は、風景等の2の要素だけではなく、人工物を打ち上げますから1の要素も混じっていて、そう考えると少し特別な「綺麗なもの」って感じがしませんか?
今年は、コロナ禍で中止していた花火も再開されつつありますから、気になっている方に、
一緒に花火を見に行かない?とお誘いしてみてはどうでしょう?
もし一緒に行くことになれば、その時点で、お互いにとって恋愛対象の人になっているのかもしれませんね♪